元牧師の随想です。タイトルは聖書のことばです。
by しんご
カレンダー
S |
M |
T |
W |
T |
F |
S |
|
|
|
|
|
1
|
2
|
3
|
4
|
5
|
6
|
7
|
8
|
9
|
10
|
11
|
12
|
13
|
14
|
15
|
16
|
17
|
18
|
19
|
20
|
21
|
22
|
23
|
24
|
25
|
26
|
27
|
28
|
29
|
30
|
31
|
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2017年 01月 21日
マタイによる福音書13章にイエスが語られた「種まきのたとえ」があります。ミレーの絵画「種まく人」もこの箇所をモチーフにしたようです。種は神の言葉を指し、風を利用して撒かれる種の落ちる四種類の場所、【道】【土の薄い岩地】【いばらの中】【良い地】はそれぞれ、言葉を聞く人の心の状態を表わしていると思われます。聖書の教え、イエスキリストの教えを正しく受け取ることで天の御国を知ることができ、御国と関わって生きることが出来るのですが、イエスはたとえの最後に「聞く耳のある者は聞きなさい。」と付け加えています。 認知症の妻が語る言葉から妻の気持ちを理解することが次第に難しくなってきた最近になって、イエスの「種まきのたとえ」が私の心に今までとは少し違う意味で強く響くようになりました。妻がまだ自分の意思を妻の言葉で良く伝えることが出来た頃「お父さんは、私のことばを聞いてくれない。」と何度も私に言っていたことを思い出して、心が痛みます。妻の言葉を『種』に例えると、聞く私の心は【道ばた】【土の薄い岩地】ないしは【いばらの多い地】のように妻には感じることが多かったのではないでしょうか。 適当に聞き流したり、素直に聞いているようにうなずきながらも自分の考えに固執して聞いていたり、妻の語る言葉より、他の事柄への関心が強くて、妻の言葉を聞いて適切な応答や行動をとってやれなかったことなどが思い出されて心が痛みます。 若年性アルツハイマー型認知症と診断されて、10年が経過しました。幸いにも妻は未だに多くの言葉を発してくれますが、断片的な言葉なので、妻の想いや願いを理解して相応しい対応をとってやることが次第に困難になっています。妻に苛立つ様子が多く見られるのは、意思が伝わらないことと関連しているように私には思えます。 「妻が明確に自己表現が出来ていた時に、私が【良い地】で表されるような心で妻のことばを受けとめていたなら、もっと妻のことを知り得たのではないだろうか。」との深い反省がありますが、元に戻ることの出来ないいまはせめて断片的な妻のことばから「聞く耳のある者」のように聞いて、妻の内面を理解し受け入れてやることの出来る夫でありたいと思っています。
by simobekiku3
| 2017-01-21 13:33
| 四福音書
|